有元利夫
有元利夫 

一度みたら忘れられない
その絵は早すぎる晩年を迎えた
有元利夫が描いた

享年38才、惜しまれつつ旅立った
彼は意識を失う直前、脇の下に
手をあてて、あ!「羽根がはえてきた」
と言ったそうだ。
彼の絵は人や花びらなど、さまざま
なものが浮かんでいる絵が多い
そんな彼らしい一言である

音楽を愛した彼は自分でも
チェンバロを奏でていたり、
バロックフローテを吹いたりした
音楽を聴いているときの陶酔感はまた
浮遊へと結びついてゆく

ラルゴ、フーガ、プレリュード
古曲、七つの音などのタイトルの
ついた絵が多い、バロック音楽の
もつシンプルな様式美の世界が
彼の中で響きあい、絵になって
昇華したと思う、

谷中の文房具店に生まれた彼は
芸大を4年浪人して受かった
いろいろなものを作った
ブロンズや木彫、篆刻、
陶器などや子供が生まれて
からはおもちゃも作っていたという

彼はうまい絵と良い絵えとはちがうと
言うことに気がつきイタリヤ旅行で
ルネッサンスに学びダビンチや
ミケランジェロなどをみてまわり
フレスコ画にも心を動かされて行った

有元と初めて会ったのは芸大の
食堂でしたと、彼の奥さんだった
容子さんはいう。

友達の紹介で顔を合わせ
こんちにちはぐらいの言葉をかわし
ました。そのときの印象はオジサン
みたいという感じがしました。
またよくしゃべる面白い人だなと
思いました。

つきあい始めたのはその年の冬で
しばらくして彼が手編みのセーターが
欲しいのだけれどと言うので
一緒に毛糸を買いにゆきました。
またかれはこんな風にとデザイン画も
渡されました。

卒業してから彼は電通に入って
チョコレートの箱のデザインなどを
やっていました。
それでもその頃は仕事が忙しくて
自分の絵を描く時間がなくてずいぶん
大変だったようです。

電通をやめてから好きな絵を描くことに
専念し始めました。

それからはほとんどの時間
有元と一緒にいました。
キャンバスを張ったり水を換えたり
下塗りしたりと、まあ雑用係りでしたね

有元はキャンバスに向かうまでの
助走の時間が大事なのです
バロック音楽を聴きながらたわいもない
おしゃべりをするとか、お茶をいれるとか
要するに私は彼が絵に集中するまでの
伴走の役目でしたね

アトリエには何十枚も描きかけの絵が
置いてありました、ただ色を塗っただけとか
ちょっと書いて後は白とか、
そういうのがたくさんありました。

彼に言わせるとそういう描きかけの
キャンバスからお声がかかるそうで
そのとき、いそいそと絵の所にいって
持ってきて描いてました。

毎日良く散歩にいってました。
たまに一緒に近所の路地を歩くと
ここは小学校の同級生の家だとか
思い出話をしてくれました。
西日暮里のちかくだとか谷中とか
いきましたね。

谷中銀座を見下ろす階段「夕焼けだんだん」
とこの辺では言っているのですが
有元がゆうやけは文句無く美しい
誰もがああきれいだと思う絶対的な物が
必ずあると思う、うむを言わさず人間を
とらえて刺激してしまう要素が
良い絵や良い物にはあってその要素の
大きさで決まるのだと言ってました。





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